読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

同じ涙でも。

ブラジルVSコロンビアが終わった。

結果は2-1でブラジルが勝利。

両チーム攻めきった、本当にいい試合だった。

終了のホイッスルが鳴った直後、コロンビアのエース、ハメス・ロドリゲスの号泣した顔がTVに流れた。

そこに敵チームであるブラジルのDFダビド・ルイスが近づき、ハメスの健闘を称え頭をくっつけ抱擁し、自国のサポーターで埋まったスタジアムに『ハメスはよくやった、ハメスに拍手を!』と言わんばかりのアクションをした。

そしてサポーターがそれに応える。

美しい光景だった。

『やはりサッカーは素晴らしい』

その余韻に浸りながらチャンネルを変えると、兵庫県議会の野々村竜太郎議員が政務費不正疑惑の釈明記者会見で号泣している映像が流れた。

同じ涙でもここまで違うのかと愕然とした。

本当に汚くて情けない涙だ。



そういえば最近僕はいつ涙を流しただろうか。

詳しいことは忘れたが、ここ数年無いのは確かである。

というより、小さい頃から自分の感情を涙というツールを使って表現することが出来なかったのだ。

『ここで涙が出ればどれだけ楽だろうか』と思ったことが幾度となくある。

そういう邪念がある時点で僕は野々村議員とさして変わらないのかもしれない。


軽い自己嫌悪に苛まれながらトイレにいこうと立ち上がり歩き出したその直後、少し出っ張った本棚の角に右足の小指を思いきりぶつけて倒れこんだ。

あまりの痛さと情けなさに顔を歪めたその瞬間、無意識に涙が頬を伝った。

それは紛れもなく邪念のない涙だった。


しかし、ハメス・ロドリゲスのそれとは何かが違っていた。