謝罪会見。

日本のワイドショーで良く目にする謝罪会見。

タレント個人のものから、企業の不祥事によるものまで大小様々だが、僕にはイマイチあれの存在意義がわからない。

例えばあるタレントの二股交際騒動で、マスコミが連日押しかけ『何故二股したんですか!』『謝らないんですか!』というレベルの低い質問。

あんたら関係ないやん。

きっとマスコミが騒ぐ前に当人同士で修羅場を乗り越えてるだろうし、何ならもう何回も謝ってるはず。

カメラに向かって謝るのが筋みたいな今の風潮はおかしいし当人達が可哀想で仕方ない。

あと企業のちゃんとした謝罪会見でもおかしな点はいくつもある。

普段自分の役職にあぐらをかいた連中が、はいはい頭下げればいいんでしょと言わんばかりの形式的な謝罪と、叩けるものを必死に探して見つけた時はえげつない程の言葉の集団リンチをするマスコミの泥仕合。それを流すワイドショーのカメラ。

あの会場には『悪』しかいないのだ。

ほんとに謝罪の気持ちがあるのなら、謝る相手の目の前でしっかり頭を下げる、そのシンプルな方法が一番良いし、そこにはカメラも記者もレベルの低い質問も一切いらない。

結局マスコミは『報道の自由』を武器に、ねじれた正義感をかざし、我々は被害者の味方ですよ目線で報道しているのだが、実はそれが一番話をややこしくさせているのだ。


謝罪会見といえば、数日前、ヤクルトスワローズバレンティン選手が奥さんへの暴行容疑騒ぎに終止符を打つために記者会見を開いたのだが、そこで普段ユニフォームの彼がスーツを着用し、お辞儀文化の無い彼が深々と頭を下げて涙目になっている姿は滑稽過ぎて逆に好感が持てた。

これからの謝罪会見は、個人も企業も、そういった一種の意外性みたいなものが有効になってくるのかもしれない。